福島県

大内宿の旅行ランキングやオススメ観光スポット案内や見どころや名所紹介

おすすめポイント

福島県南会津の山中に位置している大内宿は、日本100名城のひとつでもある会津若松城がそびえる城下町・会津若松から、下野国にあたる日光までを結ぶ、もとの会津西街道沿いに形成された宿場町です。

参勤交代のときには会津藩主が通行することもあったという要衝地で、藩主などの休憩のために本陣とよばれる特別に立派な建物もつくられました。

こうした宿場町の風情は、都市化が進んだ現在ではほとんど失われてしまっていますが、全国でもここ大内宿に限っては、住民による熱烈な保存運動が実を結び、かつての風景がよみがえっています。

旧街道に沿った約450メートルほどの区間は、道路のアスファルト舗装や電信柱なども撤去され、涼しげな水路が流れるなかを、冬場の積雪にも耐えるようなしっかりとした茅葺き民家が軒を連ねており、江戸時代の昔にタイムスリップしたかのような印象があります。

こうした見事な景観が残されていることから、国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されており、現在では年間で100万人近くの人々が全国から訪れる、会津でも屈指の観光スポットとしてその名を知られるようになっています。

総鎮守である高倉神社の祭礼にあたる7月の大内半夏まつり、雪灯篭のほのかな光に茅葺き民家の姿が照らし出される2月の大内宿雪まつりなども人気の行事です。

グルメ情報

痩せた土地でもよく育ち、山深い地域に住む人々を凶作の悲劇から救ったそばは、南会津地方においても名産とされる食べ物のひとつです。

大内宿の界隈でもそば作りは伝統的に行われてきましたが、他の地域とは一線を画しているのが、名物とされる通称「ねぎそば」、または「高遠そば」と呼ばれるものです。

箸のかわりにネギが1本付いており、これを箸代わりに、または薬味としてかじりながら食べるという変わったものです。

大内宿には、茅葺き民家を改装した食事処が多数並んでいますが、そのほとんどで取り扱う人気の高いメニューです。

これは、高遠藩主であった保科正之が会津藩主に国替えされた際に、かの地からそば職人をいっしょに連れてきたことによって広められたといわれています。

また、南会津地方の郷土料理として、クジラの肉をネギや豆腐などといっしょに味噌で煮込んだ「くじら汁」なども定番です。

クジラの脂身の肉は、かつて海と山とを往来していた行商人たちがもたらしたもので、保存性にもすぐれており、食料が少なく山がちな地域での貴重なタンパク源とされていたものです。

そのほかにも、トチの実をアク抜きして粉状にしたものをねりこんだ「とち餅」、うるち米を搗いて竹串に刺し、エゴマなどを混ぜた味噌を塗って焼いた「しんごろう」などの餅類も、民家の軒先でよく売られています。

観光地の見どころランキング・1位

大内宿は、会津若松と下野国の日光を結ぶ会津西街道32里の道程のなかで、会津から2番目の宿場町として江戸時代の初期に整備されたといわれています。

このため、かつての街道に面して、ほぼ均等に屋敷割りがされた茅葺き民家が軒を連ねており、その数は50軒近くにも及んでいます。

主屋は四方に傾斜をもつ茅葺きの寄棟造りで、現在でも雪解けを待って刺し茅と呼ばれる修繕が定期的に行われるなど、江戸時代の趣きをよく保っており、これらの茅葺き民家を含む町並みのすべてが、国の伝統的建造物群保存地区としての指定を受けています。

ほとんどの建物は伝統の良さを生かしつつ、内部を改装して観光客向けの食事処、土産物店として営業していますので、景観美とあわせてご当地グルメなども楽しむことができます。

観光地の見どころランキング・2位

大内宿町並み展示館は、集落のちょうど中心にあたる、宿駅時代の本陣のようすを再現した建物です。

本陣というのは、参勤交代などで街道を往来する大名などが途中で宿泊・休憩をするために設けられた施設であり、本陣のほかにもサブ施設として脇本陣が置かれるような場合もありました。

大内宿は、戊辰戦争の際に激しい戦闘が行われた場所でもあるため、昔からの本陣の建物は現存しておらず、その図面などの資料も散逸した状態にありました。

そのため、同じ街道筋にあった糸沢宿、川島宿の本陣を参考にして、昭和59年に江戸時代の本陣の跡に復元されました。

この大内宿町並み展示館の内部には、藩主専用の玄関、上段の間、風呂、雪隠(トイレ)などが設けられており、当時のようすを偲ぶことができます。

また、館内には大内宿の成り立ち、茅葺き屋根の保存、民具などの資料が展示されており、ミニ博物館としての機能も有しています。

観光地の見どころランキング・3位

子安観音は、約450メートルある大内宿の町並みのちょうど終点にあたる、北側の小高い丘の上、戊辰戦争の際に新政府軍の詰め所になったといわれる正法寺という寺院のさらに上に位置したお堂です。

茅葺きの寄棟造り、2間四方の小さな建物ですが、昔ながらの風情があります。

その名前のとおり子安観音を祀ったものであり、ここに参詣すると子宝に恵まれるとして、かつての村人たちの信仰の対象となっていました。

現在でも年に1度、5月に本尊である子安観音の御開帳となる縁日があり、婦人会の人々が出てにぎわいます。

また、このお堂は大内宿のなかでももっとも高い場所にあることから、宿場町全体が見渡せる絶好のビュースポットとしても観光客に人気であり、写真を撮影しようと急な石段を登る人の列が途切れることがありません。

まとめ

子安観音は、約450メートルある大内宿の町並みのちょうど終点にあたる、北側の小高い丘の上、戊辰戦争の際に新政府軍の詰め所になったといわれる正法寺という寺院のさらに上に位置したお堂です。

茅葺きの寄棟造り、2間四方の小さな建物ですが、昔ながらの風情があります。

その名前のとおり子安観音を祀ったものであり、ここに参詣すると子宝に恵まれるとして、かつての村人たちの信仰の対象となっていました。

現在でも年に1度、5月に本尊である子安観音の御開帳となる縁日があり、婦人会の人々が出てにぎわいます。

また、このお堂は大内宿のなかでももっとも高い場所にあることから、宿場町全体が見渡せる絶好のビュースポットとしても観光客に人気であり、写真を撮影しようと急な石段を登る人の列が途切れることがありません。