おすすめポイント
滋賀県の中部に位置し、琵琶湖の東岸にある街・近江八幡は、近江商人と水郷の街でお馴染み近江八幡市と、安土城でも知られる蒲生郡安土町が合併して成立した土地です。豊臣秀次の手によって築かれた城下町を基礎とした近江八幡は、商業都市として発展してきました。
近世の情緒ある風景が色濃く残る新町通りや永原町通りなどは「近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区」という名称で、国の重要保存地区として選定されており、その趣きある風景を生かして時代劇のロケ地としても頻繁に使用されています。
また、ヴォーリズ記念館でお馴染み、ウィリアム・メレル・ヴォーリズのモダンかつロマン溢れるデザインの建築に目を惹き付けられることでしょう。
その景観から、近江八幡の街並みは全国各地対象の遊歩百選のひとつとして選定されています。
歴史ある街並みや建物、歴史ある神社仏閣や名勝など多くの素晴らしい景観を見ながら歩くことができるためです。
観光案内所では、近江八幡市資料館やあきんどの里、日牟礼八幡宮などめぐるべき観光スポットが記されたガイドマップを無料で配布しています。
ぜひ歴史ある景観を眺めながら、近江八幡を歩き尽くすぶらり散歩の旅へと出かけましょう。
グルメ情報
商人の街の趣きが色濃く残るこのエリアではおすすめの名産品・グルメが目白押しです。まずは、滋賀といえばおいしい空気と大いなる自然によって育てられた黒毛和牛・近江牛が挙げられます。
徳川御三家に献上していたことでも知られる近江牛は絶品です。
最大の特徴である霜降り、とろみや粘り気のある脂身は舌がとろけることでしょう。
ステーキや焼肉など肉本来の味を堪能できる料理店がずらりと立ち並びます。
次に、琵琶湖の恩恵である新鮮な魚も外せません。
琵琶湖で育つニゴロブナを使用した鮒寿司は、日本三大珍味に数えられ、独特の香りと風味ですが一度この味を知るとやみつきになることでしょう。
料亭での食事の他、販売店で購入することもできるので、おみやげにおひとついかがでしょうか。
何事も派手にすることを好んだ織田信長が、この地で作らせたという赤こんにゃくも名産品のひとつです。
見た目や触感こそ異なりますが、味は通常のこんにゃくと変わりません。
ぜひ一度食べてみてください。
また、琵琶湖の幸として小鮎やホンモロコなどを使用した佃煮も忘れてはなりません。
甘辛く煮炊きされた魚は、あたたかいごはんと絶妙なハーモニーを奏でます。
日持ちもしますのでぜひおみやげにどうぞ。
観光地の見どころランキング・1位
瓢泉堂は、草津の特産品である瓢箪を加工して販売するお店です。瓢泉堂は草津で唯一残る瓢箪専門店であり、縁起ものとして無病息災祈願にと購入する観光客で賑わいます。
かつて瓢箪は酒や水を入れて持ち運ぶ水筒の役割を果たしており、豊臣秀吉の馬印に金の千成瓢箪を旗に掲げたことでも有名です。
瓢泉堂の瓢箪は、全て職人の手によって手作業で作成されているため、この世にふたつと同じものがありません。
お守りで持ち歩けるミニサイズから軒先に吊るすタイプ、居間に飾る大きなものまで幅広い形状・種類のものが販売されています。
丸くて角がなく魅力的なくびれによる曲線と、職人の手による匠の技をぜひご覧ください。
おみやげ屋や、神社仏閣などにおさめられている由緒正しい瓢箪を、記念品に、おみやげにぜひどうぞ。
観光地の見どころランキング・2位
ヴォーリズ記念館は、近江兄弟社の創立者にして建築家であるウィリアム・メレル・ヴォーリズが夫人とともに過ごした住居を展示・公開している資料館です。キリスト教伝来のため1905年に来日したヴォーリズは、建築から医療・教育・社会事業と多岐にわたって貢献しました。
特に建築・設計は約1600件にものぼり、教会や学校・ホテルなどさまざまな種類の建物を手がけています。
滋賀県内でも豊郷小学校や、醒井宿資料館(旧醒井郵便局局舎)など滋賀観光をしたことのある方は至るところで彼の偉業を目にしていることと思います。
ヴォーリズがこの館で過ごした日々で用いられていた日用品など、日常生活に関する数々の遺品や、数々の携わった事業の資料が保管および展示されています。
ヴォーリズ記念館の入場料は無料のためぜひ気軽にお立ち寄りください。
観光地の見どころランキング・3位
源義経元服の池は、滋賀県竜王町にある鏡神社の西側約130mの距離にある池で、源義経が元服の際に水を使ったといわれている池です。脇には石碑が建てられ、こちらが観光客の目印ともなっています。
1174年、牛若丸(源義経幼少の頃)が源氏の再興を志し、京の鞍馬山より奥州平泉の兄である源頼朝のもとへ尋ねるために途中地点である近江の「鏡の宿」に入りましたが、稚児姿のままでは見つかりやすいため元服して追手を欺こうと試みました。
これがこの池で元服した理由と言われています。
源義経元服の池の水は、前髪を落とす際と、元結の侍姿を池の水面に映す際に用いられました。
源九郎義経と名乗ったのが、この当時で16歳であったと伝えられています。
また謡曲の「烏帽子折」の中にもこの逸話が登場しています。
まとめ
源義経元服の池は、滋賀県竜王町にある鏡神社の西側約130mの距離にある池で、源義経が元服の際に水を使ったといわれている池です。脇には石碑が建てられ、こちらが観光客の目印ともなっています。
1174年、牛若丸(源義経幼少の頃)が源氏の再興を志し、京の鞍馬山より奥州平泉の兄である源頼朝のもとへ尋ねるために途中地点である近江の「鏡の宿」に入りましたが、稚児姿のままでは見つかりやすいため元服して追手を欺こうと試みました。
これがこの池で元服した理由と言われています。
源義経元服の池の水は、前髪を落とす際と、元結の侍姿を池の水面に映す際に用いられました。
源九郎義経と名乗ったのが、この当時で16歳であったと伝えられています。
また謡曲の「烏帽子折」の中にもこの逸話が登場しています。