おすすめポイント
但馬は兵庫県北部に広がる地域ですが、日本全国でもこれほどバラエティに富んだ地形を持つ地域はなかなかありません。中国山地の東端にあたる雄大な山並みの中にいくつかの盆地が点在し、山々を源流とする河川が日本海にそそぎます。
このように同一地域に広大な山地と海岸をあわせ持つという独特の地形は、山すそが直接海に落ち込む海岸は変化に富んだ見事な名勝、奇勝と例えられる断崖絶壁、山地・盆地には数々の温泉、野生のコウノトリの日本最後といわれる生息地やラムサール条約に登録される湿地帯などの豊かな自然環境、さらにこの自然環境ならではの豊富な海の幸と山の幸からなる食彩の数々、キャンプや海水浴からスキーやゴルフ、伝統的な祭りまで一年を通じてレジャー・観光を楽しめる環境といった多くの魅力を提供してくれます。
まさに自然の賜物を一身に受けた恵まれた地域と言えます。
また他の山陰地方と同じく古事記や日本書紀の古代の時代から登場する古い歴史は多くの伝統文化や地場産業を育み、数多の古墳、城跡、神社仏閣など長い時代を経た貴重な歴史的遺産を現在まで残すに至っています。
バラエティな自然環境にもさらに季節ごとに変化があり、但馬を楽しみつくすつもりで何度足を運んでもおそらく永遠に飽きがこない、これが但馬のおススメポイントと言えるでしょう。
グルメ情報
但馬のバラエティに富んだ雄大な自然環境は季節ごとに伝統料理から新しい珍味まで非常に多くの種類のグルメを提供してくれます。山間の自然で丹精込めて育てられる有名な但馬牛は独特のまろやかな舌触りの霜降り牛として絶品です。
但馬の日本海が提供してくれる松葉ガニの脚いっぱいに詰まった身の甘さはまさに冬の味覚の王様と呼ばれるに相応しいものです。
日本一の水揚げ量を誇るホタルイカをはじめ、ヤリイカ、スルメイカ、シロイカ、アカイカなどのイカ天国と呼ばれる但馬ならではの活イカ料理、山々を流れる美しい清流が提供してくれる鮎やヤマメといった川魚料理、環境を活かして養殖されたすっぽんやチョウザメの珍しい料理、但馬の風土ならではの数々の地酒、桃とスモモを掛け合わせた新しい果物ネクタリン、バラの花びらを使ったバラジャム、豊潤で甘みの強い二十世紀梨、コウノトリと共生してつくられた米、鹿肉のジビエ料理などなど。
昨今はとってつけたような地場グルメも多いですが、但馬のグルメはそれらと一線を画した本物の趣があります。
荒れる日本海や山間がもたらす冬の厳しさを代表する四季と地形の変化に富んだ美しいままの自然と古い歴史が一体となった但馬のグルメには本物の重厚さがあるのです。
観光地の見どころランキング・1位
安国寺は兵庫県豊岡市にある臨済宗の寺院です。開山は鎌倉時代後期の無本覚心といわれています。
無本覚心は現在では一般に知名度が高い僧ではありませんが、信濃国の武家の家に生まれ、東大寺や高野山や全国の数々の寺院、曹洞宗の開祖道元のもと、果ては宋の時代の中国にまで渡って修行をし、後醍醐天皇より法燈国師と諡されたほどの当代一流の僧です。
安国寺という名は1345年に後醍醐天皇や南朝の戦没者を弔うため、足利尊氏によって改名されたものですが、このように時の権力者と深く関わりのある非常に由緒ある寺院の一つです。
見どころは特に紅葉の素晴らしさに尽き、ドウダンツツジという非常に赤く紅葉するツツジが有名です。
真赤に紅葉したドウダンツツジと寺院の景観がかもしだす、まさに日本的な美を感じる情景には誰もが心打たれることでしょう。
観光地の見どころランキング・2位
竹田城跡は近年「天空の城」という呼び名で有名になった山城跡地です。最大の見どころは標高約353.7mの山頂に南北約400m、東西約100mの縄張りとして累々と積み上げられた石垣の威容、そしてそれらがしばしば発生する川霧によって遙か山の下からは雲海に浮かび上がるように、山頂からは絶海の石垣の上から雲海を見下ろすように見ることができるという特異な景色にあります。
この風景は「日本のマチュピチュ」とも言われる由縁ですが、テレビや写真などにしろマチュピチュを見たことがある方ならば絶妙の表現と感じることでしょう。
また幾度か有名な映画のロケ地にもなっていて城のセットが組まれたこともありますので、映画ファンなら場面を思い出して場所を確認するなど楽しめるかと思います。
歴史ファンの方には織田信長の命で中国地方攻略中の羽柴秀吉の弟羽柴秀長が3日間の攻城戦で落城させたという伝承もありますので思いをはせてみるのも良いでしょう。
観光地の見どころランキング・3位
生野銀山は平安時代初期807年開坑と伝承され、本格的な採鉱は室町時代に始まります。戦国時代には佐渡金山、石見銀山と並ぶほどの、戦国大名にとって日本有数の財源となります。
最盛期は江戸時代の徳川三代将軍家光治世のころで月産約562kgの銀を産出した言われています。
その後、江戸中期にかけて銀の産出は減退しますが、かわって銅、錫の産出が激増するという大変鉱物資源に恵まれた鉱山でした。
さらに明治期にかけても国内有数の鉱山であり続け、昭和48年の閉山までの1200年の歴史は長さ350km以上、深さ880mという坑道を残しました。
見どころはまさにこの長い歴史を経て残されている坑道巡りにあり、つい今まで掘っていたかのような場所や地下ならではの空間、そして鉱山資料館に展示されている貴重な鉱物などを通して往時を想像する楽しみがあります。
まとめ
生野銀山は平安時代初期807年開坑と伝承され、本格的な採鉱は室町時代に始まります。戦国時代には佐渡金山、石見銀山と並ぶほどの、戦国大名にとって日本有数の財源となります。
最盛期は江戸時代の徳川三代将軍家光治世のころで月産約562kgの銀を産出した言われています。
その後、江戸中期にかけて銀の産出は減退しますが、かわって銅、錫の産出が激増するという大変鉱物資源に恵まれた鉱山でした。
さらに明治期にかけても国内有数の鉱山であり続け、昭和48年の閉山までの1200年の歴史は長さ350km以上、深さ880mという坑道を残しました。
見どころはまさにこの長い歴史を経て残されている坑道巡りにあり、つい今まで掘っていたかのような場所や地下ならではの空間、そして鉱山資料館に展示されている貴重な鉱物などを通して往時を想像する楽しみがあります。