おすすめポイント
広島県尾道市は、広島市の東に位置する、瀬戸内海に面した港町です。丘の斜面に町が広がっていて、風情のある坂道が多い土地柄です。
また戦災にあわなかったので昭和の雰囲気がそのまま残っています。
南北に長く、温泉のある緑豊かな北部エリア、レトロな坂道が魅力的な、文化と歴史を楽しめる中央エリア、そしてしまなみ海道と島々の絶景にかんきつの香り漂う南部エリアに分けられます。
古くから交通の要衝だった尾道は、12世紀には年貢米を積みだす港として繁栄し、江戸時代には大阪と北海道をつなぐ北前船も来るようになりました。
この繁栄の中で豪商が現れ、その頃に豪商がつくったお寺や町並みが、今でも残っています。
映画の舞台としても有名で、小津安二郎監督の東京物語のロケも行われました。
「男たちの大和」という映画の撮影では、戦艦大和が尾道の造船所に原寸大で復元されました。
また、大林信彦監督の「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の三部作と、「ふたり」「あした」「あの日、夏の日」の新三部作は、すべて尾道が舞台です。
また、しまなみ海道はサイクリストたちの憧れのスポットです。
長い長い橋を、美しい海と島々を背景に風を切って走るのは、素晴らしい体験です。
瀬戸田、向島、因島などにはサンセットビーチやフラワーセンターなど見どころもたくさんあり、ミカン狩りも楽しめます。
グルメ情報
尾道には名物料理がいろいろとあります。数あるご当地ラーメンの中でも人気の高い尾道ラーメンは、醤油味スープが平麺に絡んだ上にネギ、チャーシュー、シナチクがのっていて、豚の背脂を使うのがポイント。
かといってしつこくはなく、あっさりしていてコクのあるラーメンです。
老舗のラーメン店では中華そばと呼ばれます。
それからあなご丼。
広島のあなご丼も有名ですが、尾道のあなごも脂がのってとても美味しいです。
甘辛いあなごが白いごはんにのった、シンプルで上品な味わいは、うなぎが苦手な人でも大丈夫です。
タコ飯も負けてはいません。
瀬戸田地方でよく食べられているタコ飯は意外と柔らかく、タコの風味がご飯に絶妙にしみこんで、これもまた他にはないおいしさです。
鍋でいえば水軍鍋と浜子鍋。
因島発祥の水軍鍋は、昔村上水軍が出陣前に食べた鍋で、八方の敵に見立てたタコが入ります。
その他にも貝やエビ、あなご、海藻等をたっぷり入れた醤油味で、麦飯の雑炊で締めます。
広島風のお好み焼き、尾道焼きも個性的。
豚肉の代わりに砂肝が入っています。
お土産にはデベラ等の魚介類のひものが好適。
デベラは縄で干したタマガンゾウヒラメで、冬の風物詩でもあります。
因島のはっさく、瀬戸田のレモン、高根みかんなどのかんきつ類もたっぷりの太陽を浴びて美味しく育ちます。
観光地の見どころランキング・1位
猫の細道は、招き猫美術館から200mに渡って続いています。作家の園山春二氏考案の福石猫が天寧寺三重塔までの道のそこここに置かれています。
福石猫は楕円形の石に赤、黒、黄色を使って描かれた、何とも愛嬌のある表情豊かな猫たちです。
尾道は漁港でもあるためか猫が多く、特にこのまねきねこ美術館の近くには猫の通り道がいくつか通っていて、本物の猫にとってもこの辺は猫の細道になっています。
そのため福石猫とにらめっこしている本物の猫に出会うことも珍しくはありません。
山の手地区には、かつては裕福な商人の日本家屋が立ち並んでいましたが、今では廃屋が目立つようになりました。
園山春二氏は1997年、一軒の廃屋を梟の館というカフェに生まれ変わらせました。
それ以来、氏はこの地区の古民家を改造し続け、イーハトーブを作り上げてきました。
観光地の見どころランキング・2位
千光寺公園は、千光寺山の頂上から千光寺まで広がる公園で、尾道のシンボルでもあります。明治27年に、当時の住職だった多田實圓和尚が、遊園地の少ない尾道の人々のために公園を作ろうと思い立ったのが発端となりました。
長い年月とたくさんの篤志金でできた共楽園という公園が千光寺公園の前身となっています。
頂上の展望台からは、瀬戸内の島々や四国連山まで望むことができ、ここからの夜景は夜景100選に入っていて、恋人の聖地にも認定されています。
春の桜は桜の名所100選に選ばれ、秋には尾道菊花展で賑わいます。
またここから千光寺まで下りていく「文学のこみち」には、天然石に詩が刻まれた25の文学碑が置かれています。
千光寺公園内には市立美術館があり、地元ゆかりの小林和作や平田玉縕の作品やジョルジュ・ルオーの作品も展示されています。
2階のテラスからの眺望が素晴らしく、カフェやショップもあります。
観光地の見どころランキング・3位
大宝山権現院千光寺は、806年に弘法大師によって開基され、源満仲によって再興されたと言われています。大宝山の中腹、標高140mの場所に建てられていて、眼下には市街地や海、向島が一望の下に見渡せます。
また中国三十三観音第十番札所、山陽花の寺二十四か寺第二十番札所となっています。
1686年に建てられた本堂は赤い色をしていて、赤堂とも呼ばれます。
御本尊は聖徳太子作と伝えられる千手観世音菩薩で、三十三年に一度だけ開帳されます。
「火伏の観音」とも呼ばれるこの観音様には、昔から火事を避けるご利益がありますが、今では諸願成就の観音様として参詣されています。
本堂の他に大師堂、護摩堂、三十三観音堂、大仙堂、毘沙門堂、鐘楼等がある広いお寺ですが、珍しい岩が多くあるのが特徴的で、中でも高さ15mの玉の岩には、昔は海まで輝きを放つ宝玉があって異国人に盗まれそうになり海に沈んだという伝説があり、千光寺や玉之浦という地名の由来とも言われています。
まとめ
大宝山権現院千光寺は、806年に弘法大師によって開基され、源満仲によって再興されたと言われています。大宝山の中腹、標高140mの場所に建てられていて、眼下には市街地や海、向島が一望の下に見渡せます。
また中国三十三観音第十番札所、山陽花の寺二十四か寺第二十番札所となっています。
1686年に建てられた本堂は赤い色をしていて、赤堂とも呼ばれます。
御本尊は聖徳太子作と伝えられる千手観世音菩薩で、三十三年に一度だけ開帳されます。
「火伏の観音」とも呼ばれるこの観音様には、昔から火事を避けるご利益がありますが、今では諸願成就の観音様として参詣されています。
本堂の他に大師堂、護摩堂、三十三観音堂、大仙堂、毘沙門堂、鐘楼等がある広いお寺ですが、珍しい岩が多くあるのが特徴的で、中でも高さ15mの玉の岩には、昔は海まで輝きを放つ宝玉があって異国人に盗まれそうになり海に沈んだという伝説があり、千光寺や玉之浦という地名の由来とも言われています。