おすすめポイント
京都には、様々な観光おすすめポイントが揃っています。その中には、清水寺や金閣寺や銀閣寺、嵐山や伏見稲荷大社などがあり、まず何日いても観光スポットに事欠かないのではないでしょうか。
また、オススメポイントとして、ここが全盛だった時代ではない、近代の観光スポットとして、梅小路蒸気機関車館などもあったりして、関西の中では、大阪以上に見どころがあり、実は、一泊二日、あるいは日帰りで名古屋方面からも自家用車に乗って訪れるといった方が多いとの話もよく耳にします。
その他のおすすめポイントとしては、駅そのものがあるのではないでしょうか。
ここの駅は非常に大きく、それだけで観光スポットになり得ます。
また、市営地下鉄の列車接近時の駅メロディーなどは、京都らしさ満点で抜群に面白いものです。
この駅メロディーに関しては、残念ながら東京の方が上を行きます。
駅ごとにメロディーが全く違うという芸当は、さすがJR東日本と思わせるに充分なものです。
多くの線が走る東京では、駅の番線ごとにメロディーが全く違うなど、よくよく考えられて作られており、こちらの方が驚かさせられます。
しかし、関西地方にしても、メロディーまでこだわるというのは、流石、日本人らしいです。
グルメ情報
京都は残念ながら、グルメの街とは言い難い感じを受けます。例えば、グルメと言えばお寺が多いことから、精進料理というものがありますが、あれはグルメではありません。
薄味で油分が全く無くサッパリしていて美味しいといった精進料理のふれこみは、全くのウソです。
その理由は、精進料理がお坊さんが食べる料理だという所にあります。
洋の東西を問わず、世が乱れると、決まって坊さんが精力満点になってしまうものです。
キリスト教会の中でも、チェーザレ=ボルジアの父、アレクサンデル六世などは、絶倫法王として名を馳せていました。
私生児の数で行けば、世界ナンバーワンなのではないでしょうか。
比叡山の延暦寺も同様です。
織田信長の時代、延暦寺のお坊さんは、魚は食べるわ、多分、肉も食べるわ、深酒はするわ、女性を妊娠させるわで、大変だったそうです。
仏教徒の場合は、女人禁制の山などが多く、寺院も例外ではありません。
女性を見ても、哀れな人だといった程度のことしか思ってはならず、雌と見做せばダメなのです。
精進料理は、坊さんの精力を奪い去り、病気がちの体質に改造するための料理なので、間違っても美味しい筈はないのです。
ここに行ったなら、精進料理だけは食べてはいけません。
観光地の見どころランキング・1位
京都観光の見どころの一つに清水寺があります。この寺院は、祇園というこの街一番の繁華街にありながら、何故か全く歴史の舞台に登場しない珍しい寺院と言えるのではないでしょうか。
足利義満建立の鹿苑寺金閣、そして足利義昭建立の慈照寺銀閣という有名な寺院の中にあって、この清水寺は、今でこそテレビなどで必ず、来年を現す世相の言葉などで、住職なのでしょうか、大きな筆で、乱とか憂などを書くこと以外は、そうそうマスコミなどにも登場しません。
ですが、江戸時代にはあったお寺な様で、思い切ってことを成し遂げることを、清水の舞台から飛び降りるなどと表現している程なのです。
ここは、昼間に行ってもそれなりに楽しいかも知れませんが、夕刻から夜間に行けば、それこそ、清水の舞台から夜景が眺められ最高です。
観光地の見どころランキング・2位
伏見稲荷大社は、稲荷神社の全国の総本山として知られており、関西地方の方々の初詣の地としても、有名な場所であります。多分、初詣の参拝客数は関西ではトップか二位くらいで、全国でも有数の初詣客数を誇るのではないでしょうか。
関東地方では、成田山新勝寺や、浅草の浅草寺などが有名でしょう。
中部地方では、天の村雲の剣を奉納している名古屋の熱田神宮などが有名でしょう。
東北地方では、宮城県の塩釜神社や、仙台の大崎八幡宮、岩手県平泉町の中尊寺などは有名です。
中尊寺は、岩手県内では、盛岡八幡宮を押さえての堂々一位というのですから驚きです。
初詣は、主として、今年一年の豊穣と勝利を願うため、軍神である八幡様に行くのが常なのですが、関西の場合は、伏見稲荷大社ということで、なかなか趣を感じる今日この頃です。
観光地の見どころランキング・3位
嵐山は、京都の町の西の端に位置する山で、風光明媚な場所でも有名ですが、近年ではタレントショップが立ち並ぶ観光スポットとしてもかなり有名になってきており、修学旅行生などが良く利用する場所として知られています。ここの観光スポットとして、大覚寺という寺院があります。
この寺院は様々な逸話があります。
鎌倉時代後期に、何故か、天皇家が二分しての争いがありました。
一方を持明院党と称し、もう一方を大覚寺党と称しました。
その内、室町時代に突入し、南北朝の騒乱が起こります。
この南北朝の騒乱の南朝を大覚寺党と称し、北朝を持明院党と称しました。
鎌倉後期から、双方の党が交互に天皇になるといった取決めが崩れ、南朝系の大覚寺党の後醍醐帝が崩御し、現在は北朝系の持明院党になっている筈なのですが、何故か南朝系との話もあります。
まとめ
嵐山は、京都の町の西の端に位置する山で、風光明媚な場所でも有名ですが、近年ではタレントショップが立ち並ぶ観光スポットとしてもかなり有名になってきており、修学旅行生などが良く利用する場所として知られています。ここの観光スポットとして、大覚寺という寺院があります。
この寺院は様々な逸話があります。
鎌倉時代後期に、何故か、天皇家が二分しての争いがありました。
一方を持明院党と称し、もう一方を大覚寺党と称しました。
その内、室町時代に突入し、南北朝の騒乱が起こります。
この南北朝の騒乱の南朝を大覚寺党と称し、北朝を持明院党と称しました。
鎌倉後期から、双方の党が交互に天皇になるといった取決めが崩れ、南朝系の大覚寺党の後醍醐帝が崩御し、現在は北朝系の持明院党になっている筈なのですが、何故か南朝系との話もあります。