おすすめポイント
魅力がたっぷりの桜島では、桜島の自然公園や黒神埋没鳥居、湯之平展望所といった観光スポットから、海釣り公園やレインボービーチや温泉など、たくさんの要チェックポイントがあります。もちろん、メインの桜島の観光は欠かせません。
見たいもの・訪れたいものがたくさんありすぎて迷ってしまう…という方にはまず桜島ビジターセンターへ訪れるのがおすすめです。
ここでは噴火の歴史や、噴火のメカニズムをなどを解説・展示するミニ博物館となっており、また火山のことだけでなくこの地域一帯の観光案内まで、桜島に関するあらゆる情報がそろっています。
館内で放映されている映像(英語・中国語・韓国語の3カ国語の字幕付き)には、魅力がぎっしり詰まっています。
模型や展示を見れば、噴火の歴史や植物の移り変わりがよくわかります。
活発に活動している「昭和火口」のライブカメラや、リアルタイムの地震計データ、今日までの噴火・爆発回数なども展示しており、桜島の「今」がわかります。
「桜島でちゃぷちゃぷカヤック」や「桜島火山ガイドウォーク」といった体験プログラムの拠点にもなっています。
オススメのルートを尋ねてみれば、きっとあなたに合った楽しみ方が見つかるでしょう。
ぜひビジターセンターに訪れて、旅の指標にしてください。
グルメ情報
桜島といえば、なんといっても鹿児島・薩摩名物の薩摩芋でしょう。各種薩摩芋を使った料理を提供するお店が並んでおり、天ぷら・煮物・焼き芋などを中心に堪能できるお店がずらりと並んでいます。
また、薩摩芋を用いたきんつばや和菓子も外せません。
観光したり、レジャーに疲れたら休憩がてらスイーツを求めて立ち寄る、なんて楽しみ方もぜひおすすめです。
鹿児島といえば、かるかんも忘れてはなりません。
鹿児島で製粉されているかるかん粉を用いた棹物菓子ですが、まんじゅうにあんを仕込んだ「かるかんまんじゅう」が一般的になっています。
立ち寄ってお茶と一緒に召し上がるのはもちろんのこと、おみやげにも最適です。
ほかにも、「下駄の歯」と格好が似ているところからこの名が付いたといわれる郷土菓子「げたんは」、鹿児島や宮崎、熊本など南九州で主に端午の節句に作られる季節の和菓子「あくまき」などなど、さまざまな名物があるため、ぜひ一度召し上がってみてください。
他にも、鹿児島で有名な黒豚を用いた肉料理、鹿児島ラーメン、知覧茶などたくさんの名物を提供するお店が並び、目移りしてしまうことでしょう。
観光とともにぜひ食べ歩きも楽しんでください。
観光地の見どころランキング・1位
山道を登った先にある湯之平展望所は標高373m・北岳の4合目に位置し、桜島において立ち入ることのできる範囲内では最高地点です。ここからの景色は360度どこを見ても絶景で、目の前に迫った北岳の荒々しい山肌、眼下に広がる大正溶岩原、と見渡す限り迫力満点です。
また遠方を眺めると錦江湾を挟んで西側には南九州最大の都市・鹿児島市の街並みが広がります。
そして、天気が良ければ、北に霧島連山、南に開聞岳といった鹿児島の秀峰も顔を見せます。
石垣にはハートの石が全部で7箇所に埋められています。
また、夕方以降は特におすすめです。
赤く染められ表情を変える桜島の山肌と、海の向こうへ沈む夕日は必見です。
そして、マジックアワーの訪れとともに鹿児島市街地に明かりが灯りだし、眼下に広がる夜景はまるで宝石のようです。
桜島へ来たら一度は立ち寄って欲しい場所です。
観光地の見どころランキング・2位
フェリーターミナル近くの高台には、桜島の自然恐竜公園があります。桜島の荒々しい出で立ちは恐竜時代を彷彿とさせることから、園内には実物大の恐竜の遊具がいくつも置かれています。
そのほかにも、高さ10mを超える特大のすべり台やアスレチックもあり、子どもたちに最も人気のある公園です。
春には桜が美しく咲き誇り、お花見・見物客でにぎわいます。
夕日や星の眺めがとてもきれいな場所でもあります。
園内には展望台がふたつあり、片方からは、荒々しい山肌を目の前に見ることができ、もう一方からは大正溶岩原と錦江湾を見下ろすことができます。
展望台から港を行き交うフェリーの光景を見ていたら、時間が経つのも忘れてしまうことでしょう。
大人も子どもも楽しめる桜島の自然恐竜公園で、のんびりと休日を過ごしてもいいかもしれませんね。
観光地の見どころランキング・3位
大正3年(1914年)の大噴火で噴出した大量の火山灰・軽石は、上空8000m以上まで上昇し、火山灰はカムチャッカ半島まで飛んでいったといわれています。ここ黒神地区にあった「腹五社神社」の鳥居は、大正噴火後たった1日のうちに軽石や火山灰に埋め尽くされました。
もともと高さ3mもあった鳥居ですが、現在は鳥居の笠木部分の約1mを地上に見せるのみの姿です。
噴火後、住民は神社の神聖な鳥居を掘り起こそうとしましたが、当時の村長・野添八百蔵氏の意思により後世に噴火の記憶を残すため、噴火直後の姿でそのまま現在まで残されています。
地中に埋まった鳥居の姿が、これからも大噴火のすさまじさを後世に伝え続けていくことでしょう。
鳥居の先に進むと社殿もあるので、ぜひ訪れてお参りして下さい。
まとめ
大正3年(1914年)の大噴火で噴出した大量の火山灰・軽石は、上空8000m以上まで上昇し、火山灰はカムチャッカ半島まで飛んでいったといわれています。ここ黒神地区にあった「腹五社神社」の鳥居は、大正噴火後たった1日のうちに軽石や火山灰に埋め尽くされました。
もともと高さ3mもあった鳥居ですが、現在は鳥居の笠木部分の約1mを地上に見せるのみの姿です。
噴火後、住民は神社の神聖な鳥居を掘り起こそうとしましたが、当時の村長・野添八百蔵氏の意思により後世に噴火の記憶を残すため、噴火直後の姿でそのまま現在まで残されています。
地中に埋まった鳥居の姿が、これからも大噴火のすさまじさを後世に伝え続けていくことでしょう。
鳥居の先に進むと社殿もあるので、ぜひ訪れてお参りして下さい。